
不思議に思われる方も多いようです。
大昔にまで、遡ったお話です。
二条天皇の御代
時の左大臣藤原常房の次男、尾瀬三郎藤原國卿は、平清盛の策略によって都を追われ、越後の七日市から現在の湯之谷村を経て、燧ヶ岳麓の岩穴に住み着きました。
三郎は六尺豊な偉丈夫、文武両道に秀で、里人も気さくに交わり、一緒に雑穀の濁酒など呷ったので、「オゼノサダイジン・尾瀬の左大臣」と親しまれたと伝えられます。
尾瀬沼の名も、尾瀬三郎の名に因んでつけられました。
三郎の死後、守り本尊の化身は牛に乗って川を下り、牛が仆れると蛇を呼んで、平地に向かったと伝えられます。
弊社は、尾瀬のふもと唯一の造り酒屋なので、「オゼノサダイジン」に肖ろうと、酒銘を「左大臣」にいたしております。